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​映画&読書日記 2022

​1月8日 「10番街の天使」1948年 ロイ・ローランド監督 マーガレット・オブライエン

 今年も去年買った『名作コレクション』を続けて見ていくことになる。今回見たのはニューヨークの10番街に住む純粋な心の持ち主である少女が主人公だ。彼女を取り巻く人々の人間模様が描かれ、主役の少女役の女の子も熱演で、最後までしっかり見てしまった。ストーリーは、いかにも昔のアメリカ映画的なハッピイエンドで終わるわけだが、まあそれを差し引いてもこの映画の魅力は残るだろう。いい映画だった。

​1月10日 「ヒットパレード」1948年 ハワード・ホークス監督 ダニーケイ

タイトルからして、想像していたものと全く違っていた。何しろジャズの大御所ルイアームストロングを筆頭にたくさんのジャズミュージシャンが出演していて、その映画の中のセッションを見るだけでも価値ある作品と言えるし、その選曲やストーリーの中での使われ方も素晴らしく感じた。まあ、お話は意外にも恋愛に初心な教授の恋物語となっていて、この音楽とは別に面白い展開になっているので、最後まで楽しく見ることができた。もう1度見て見たい。

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7月31日  今年になってメルカリの油絵を描くため時間が少なく映画も何本かは見たのだが(メルカリで知り合った「冒険者たち」やチャップリンを購入してくれたお客さんがダビングしてくれたフランス映画やらシェーンなど)7月になり夏休みに入ったので、何か読書しようとコーチャンフォーで物色した。又吉直樹さんの小説「人間」が文庫で売っていたので、これにした。もう1冊は司馬遼太郎の幕末の特集雑誌。こちらはこれから読む。又吉さんは毎週月曜夜9時からのラジオトーク番組をかかさず聴いており、なかなか興味深い人だと思っている。芥川賞をとった「火花」もなかなか良かったので期待して読んだ。

「人間」 又吉直樹

タイトルが人間って、ちょっと重いかな?とためらったが、案の定難しい部分もあり彼独特のちょっとくどい言い回し?が理解不明で何度か読み直す部分もあったが、結局分からず、(これは多分自分の語学力のなさだと思うが)という場面もあったが全体としては満足いく作品だった。この小説は、大きく4章に分かれていて、最初のいろんなメンバーが登場するハウスでの出来事は設定が面白くて自分の漫画に使えそう。2番目の章(この小説では「霞」というタイトル)ではカスミという女の子との交流が主で、カスミとい女性のようなさりげない優しさを持った又吉さんの理想像の女性なのかな?3番目は芥川賞をとった男影川だったかな?と主人公とのバーでの会話が中心なのだが、主人公は又吉を想像してしまうのに、影川にも芥川賞をとったということで又吉が想像され被ってしまっていた。どちらにせよ無責任な批評家への批判が中心で、又吉さん自身にも小説にあるようなネット上の中傷などがあったに違いないと想像された。最後の章は、主に主人公の父親のエピソードや、主人公の沖縄への凱旋(東京で売れた作家として故郷で祝ってもらう)が中心だが、これは完全に又吉さんの経験なんじゃないかと思われた。しかし、あの父親の奇行には驚かされると同時に興味深く読ませてもらった。最後の方ではそんなどうしようもない父親と母親が、やっぱり一緒になった理由が書かれているようで微笑ましかった。なかなか楽しく読んだ。

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​2023、1月〜

冬休みなので、1冊本を読もうとコーチャンフォーでタイトルが気に入って「江戸絵画八つの謎」を読んだ。今までも北斎を筆頭に江戸の絵画にはとても興味があったのだが、8つのお話の中でまあどれも面白かったが、特に若冲のエピソードが気に入って、若冲の画集も買ってしまった。江戸時代の画家については謎が多く、残っている資料をもとに、その絵の描かれた状況やその作者の人となりを推理していく楽しさがあるのだな。若冲という人物も、今までは京都の商家に生まれ、何不自由なく育ち家を継ぎながらも絵を描いていたボンボン?のような人というイメージで語られていたようだが、筆者の見つけた資料からいくと、商売上のトラブルで、我が身を顧みず行動した事実に、今までの若冲のイメージを覆すような快男児であったことが記されていた。このことについては、画集を読んでまた改めて確認したい。

この8つのお話の中では、やはり北斎の章が1番気になっていたのだが、北斎についての記述は少なく、富士講と呼ばれる富士山を信仰のことがほとんどで、少し残念だったが、筆者の説によると北斎があんなにたくさん富士を描いたのは、富士講の人々にむけて描いていたのではないかという意見だった。そうかもしれない。

「坂本龍馬 志は北にあり」

図書館で幕末から明治維新前後の北海道についての本と、坂本龍馬に関わる訓子府に入植した北光社の坂本直寛(龍馬の甥にあたらる)さんや六花亭の包装紙の絵で有名な坂本直行(直寛の孫にあたる)さんのことをもう少し知りたいと思い、10冊ほど借りてきて読んでみた。坂本龍馬が当時から蝦夷地に興味を持ち、海援隊を率いて北海道に理想郷を作ろうとしていたことがわかる資料がたくさんあることに確信した。また、その志半ばで暗殺された龍馬の意志を継ぐかのように、直寛さんが北海道の開拓に関わっていったことがよくわかった。驚いたことにこの「坂本龍馬 志は北にあり」の中に資料として岡本先生の書いた「まっことえらかったのう」(岡村先生に挿絵を頼まれて書いた本)が載っているではないか!この幕末から明治にかけての開拓の物語を龍馬の活躍と一緒に漫画にしてみたいと思っている。

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「サスケ」(アニメ全7巻)

去年の誕生日に購入したサスケ、届いた頃は毎晩2話ぐらいずつ見ていたのだが、最後の1巻をお正月まで見ないでとっておいた。

​このアニメ1968年公開ということは、自分は小学校3年ぐらいの歳に見ていたことになる。その内容は忘れてしまったが、その主題歌や雰囲気は今でも強烈に記憶されている。今回改めて見たが、やはり素晴らしい作品であることに感心した。さすがに当時のアニメの技術から言って、今のような高等な技術はないわけで、稚拙な作成技術のため画像としては物足りないものであることは否めないが、それを差し引いてもこの物語の面白さの魅力は輝いていると言ってもよい。

登場する個性的な忍者や武士、農民、の生き様やその争いのお話の面白さはもちろん、忍者として成長していくサスケの父の言葉には、多くの教訓が含まれている。それは現代の人間の生き方にも共通するテーマでもある。

 最終話についてネットに載っていたレビューで、あっけない最終回みたいな文章があって、どんなものか興味津々だったのだが、自分には納得のいく最終話だった。再婚しようとする父へのサスケの不満(亡き母への慕情のために)に対し、父はサスケの気持ちを尊重し、再婚を諦める。しかし、最後には理解し合うというハッピーエンドだった。作者白土三平がこのお話を最後に持ってきたことが、この物語が忍者の話といえど、家族がテーマになっているということなんだろうな。よくぞこんなに難しい漫画をアニメにしてくれたと感謝したい。

 作者白土三平は2021年に亡くなっている。

3月5日 偶然にも新日曜美術館で坂本直行さんの番組があり、今描いている漫画の関係で直行さんの著書を図書館で借りて読んだ。直行さんの本は、もう閉書庫に入れられてあって、そこから図書館員さんに出してもらわないと借りられない本もあったりしたが、もちろん絵もいいのだが、登山をした時の紀行文が素晴らしく、ユーモアがありとても楽しい文章だ。それでネットで文庫本が出ていることを知り、早速2冊購入した。これから直行さんのことを漫画で表現する予定なのだが、直行さんの書いた登山のお話があまりに面白いので、特に斜里岳に登った時に会ったおじさんの話など漫画にしてみたいとも思ったが、勝手に漫画にしてもよいのか?という疑問もあり、どうしようか?迷っているところだ。

 

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​3月31日 「キネマの神様」

BSでやっていたので録画して見た。もうテレビでやるんだと去年の映画と思っていたから。調べたらもう2年も前だった。コロナの真っ只中作られた。主役の志村けんさんが亡くなられて沢田研二が代役で出演したという曰く付きの作品。原作が自分の好きな原田マハさんなので見たいと思っていたのだが、コロナもあって劇場まで足を運ぶことがなかった。

山田洋二監督の作品は、これまで裏切られた試しがないので、安心して見ているのだが、ネット上にあるレビューを少し読んでみるとかなり厳しい批判的なものもあった。まあいろんな意見はあるにせよ、自分にはいい映画だった。山田監督の映画への憧れや当時の映画界の活気といったものがよく描かれていたと思うのだが。確かに主人公の若き日のゴウ(菅田将暉)と歳を取ってからのゴウ(沢田研二)のギャップやら、沢田の演技にケチをつける人もいるようだが、根本に流れている山田監督の人間愛が作品全体を包み込み、自分にはそんなものは全く関係なくこの作品は輝いている。

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映画鑑賞~メルカリで小津安二郎監督と黒澤明監督の映画DVDを大量に購入したので、しばらく毎日鑑賞していこうと思っている。

2023

6/12 

「大学は出たけれど」1929年 本編は70分あったらしいが、現在残るフィルムが10分ほどで残念。

 

「東京の女」1933年 サイレント映画で刺激は少ないものの、最後まで見させてしまう技術は小津監督のもの。学生の弟を経済的に支援しようと、昼は事務(タイプライター)夜はバーで働く姉の女優が、その変身ぶりを好演。またその事実を知って自殺してしまう弟の彼女役を若き日の田中絹代が演じて初々しい。ただ気になったのは、最後に事件について話をきくためにきた週刊誌の記者の言葉「特ダネにはならないね」と去って行く場面があったこと。あれは、こんな事件この世の中には珍しいことではない、大したことではないと、言いたい監督の厭世観を表したものなのか?疑問が残った。この映画で主演している岡田嘉子という女優さん、この映画の中でアカ(共産主義者)との嫌疑がかけられるが、実際の生活でも同じような出来事が後にあったらしく、ロシアに亡命?したりして数奇な運命を辿っていることがネット上に載っていて気になった。

 

6月13日 

和製喧嘩友達1929年 本編は77分あったようだが、現存するフィルムは15分の短縮版。同じ職場で働く二人の男が、ひょんな車の事故で出くわした女と暮らし始めるというお話。最後に女が

好きになった男と汽車で旅立って行くのを、その二人がトラックでお祝いしながら見送って行く場面が圧巻。チャップリンの「街の灯」を思い出した。

突貫小僧1929年  これもオリジナルは38分あったが、現存するフィルムは14分の短縮版。人さらいに来た男が、わがままな突貫小僧のおかげで手に負えなくなり、返しに来るというお話。 

鏡獅子 1935年 国際文化事業部からの依頼で作られた映画。日本の伝統演劇を記録するという目的で作られ、一般公開はされなかった。歌舞伎にあまり興味のない自分は何度も居眠りを💤してしまった。小津監督も尾上菊五郎も双方でリスペクトしていたおかげでこの企画が成立したということである。

 

6月14日

学生ロマンス~若き日 1929年 小津監督の映画だから最後まで見たが、今一つだった。物語に登場する一人は調子のいい薄っぺらい優男と堅物だが怠惰な二人の学生には、到底感情移入できず、次々と起きるドタバタ喜劇にもあまり楽しく思えなかった。途中何度も寝そうになったが、なんとか最後まで見終えた。途中、字幕の文字が見づらく読めないためストーリーの展開が読めなくなったが、解説を読み二人の恋していた女性がスキー場に来ていたのは、他の男とお見合いに来ていたことを知り、落胆して二人は帰って行くというスジだったようだ。

6月15日

朗らかに歩め 1930年 

スリなどのヤクザな稼業とする主人公の謙二と相棒の仙公との友情の物語とも言えるお話だが、主な筋は、やす江との出会いによって今までのヤクザな稼業をやめて公正しようと努力する謙二のお話だ。導入部のスリを捕まえようと集まって来る群衆の描き方が面白かった。また、当時の街並みやクラシックカーなど、アメリカのギャング映画を意識して作られたということだが、それもどこか楽しい。クラシックカーが鎌倉の大仏前に駐車されてるシーも印象に残った。まあ、話の筋は特に目新しいものもなかったが、さすがに

謙二が昔のヤクザ仲間から誘われる場面にやす江がその場面になぜか出くわすという都合の良さには、ちょっとそりゃないだろうと思ったが、まあ、見ていて嫌な感じもなく、ハッピーエンドで楽しい映画ではあった。特に演じた謙二の俳優がなかなかの男前だったし、やす江も純情可憐といった女性をよく演じていたと思う。そして、最後のシーンで出所してお祝いパーティーに先に入ってきた仙公がまるで謙二が戻ってこれなかったような態度をするのが楽しかった。この仙公を演じた男優もいい味出してた。最初に書いたように、このヤクザな二人の友情物語と言ってもいい映画だった。

 

6月18日

東京の合唱(コーラス) 1931年

今回これまで見た映画の中で、1番感情移入できたお話だった。父親としての主人公に共感できたからかな。娘が病気でお金がないために医者にかけられない。実は箪笥にあった家のものでお金を工面したことがわかる。病気が治った娘と息子と三人でおちゃらか(?)しているシーンが素晴らしかった。そのシーンの中でその事実を知る母親、娘の命を救えたんだからそれで良いという父親、そして父親と母親の心の交流が描かれる。すごいテクニックだと思う。いくつも気に入ったシーンがこの映画にはあった。最初の体育の授業?のシーン。会社での社長に談判するシーン。カレー屋を営む元体育の先生、もう一度見てみたい。しかし、この映画のタイトルが「東京の合唱」って、初め見たタイトルのイメージと全然違っていた。あの合唱のシーンの中でもドラマがあった。解説で知った、あの可愛い娘役が高峰秀子だったとは! 

6月19日  

「淑女と髯」1931年

冒頭のコミカルな剣道シーンが楽しい。多分当時のチャップリンやキートンなどのサイレント映画の影響なんだろうな。主人公が彼女から髯を剃るように勧められて、人生が変わっていくというお話。最後に自分を信じてくれた純真な女性を愛するというハッピーエンド。爽やかなラスト。主人公がオードリーの春日に似て見えた。

 

「落第はしたけれど」1930年

受験をひかえた学生達の下宿?での悲喜交々。カンニングしようと学生達が奮闘する。不景気な世の中を反映して、合格組もなかなか就職できない。グループで動く学生達の歩き方や動作を同じにしてリズムを出している場面が多く見られ特徴的だった。落第する主人公の学生には今一つ感情移入できず、あまり面白い映画とは言えなかったが、落第生に同情?するヒロインの田中絹代が可愛いらしかった。また、及第生として若き日の笠智衆が出演している。

 

6月20日

「その夜の妻」1930年

この映画も当時のアメリカのギャング映画の影響を受けた映画。ギャグはほとんどない。

娘の病気のために犯罪する父親と、その父親を救おうとする妻のお話。捕まえに来た刑事が二人の娘への愛情に絆されて犯罪者の父親を逃がそうとする。そして最後のシーンがすごく長い。この結末、いろいろなパターンが考えられたが、結局は父親が自首する。

ひとつ思うのは、なぜ家族を持たなかった(生涯独身)小津監督が家族を描く映画が多いのか?ということ。まあ独身でもそれまでの育った生活は家族の中なのだから不思議はない。 

それと、特にこのサイレント映画を見て感じたのは、字幕が極力入れないでいるのではないかということ。映画を見ながら、役者が言葉を話しているシーンが出て来るとここで字幕だなと思った瞬間に字幕が出て、あー~やっぱりこんな言葉だと納得して見ている自分がいて、この映画ではその字幕をわざと出さないで観客に想像させようとしているのではないか?と思われる場面が何度かあった。これは監督の意図的な作戦ではないかということ。字幕を出さないことで逆にそのシーンの余韻を残すようにしているにではないかと思われた。

6月21日

大人の見る絵本 生まれてはみたけれど 1932年

小津監督のサイレント時代の傑作とされている映画。やんちゃな子ども達の世界が描かれ、弱肉強食の子ども達なりの人間関係が辛辣に描かれている。引越して来た主人公の二人の兄弟がギャグを取り込みながら楽しく映し出されている。後に小津監督の定型となる相似形に並ぶ人物の映し方が、この兄弟の姿に多く見られた。この映画のテーマである、サラリーマンの悲哀?とも言 える父親の上司の家で媚びへつらう父親の姿を8ミリ映画で見てしまう息子達。その見ている子ども達の哀しみと失望感が、しみじみと伝わって来る表現はやはり小津監督の腕だろう。その後、息子二人は親への反抗やハンストなどという行動に出るわけだが、あの父親のそれこそ哀しみに満ちた表情がまた悲しい。庭のベンチで3人でオニギリを食べるシーンも相似形になっていた。

戦後小津監督が家族をテーマに映画を作り続けるわけだが、この映画もその流れの原点となる映画と言えるだろう。

6月22日

青春の夢いまいづこ 1932年 

小津監督のサイレント映画の友情物。学生時代の応援団のコミカルなダンスやら、途中で止められず将棋盤を教室まで持って行くなどギャグ満載だが、テーマは学生時代の友情が就職と共に失われて行く焦燥感というか虚しさ。学生時代楽しく過ごした友達同士が同じ会社の社長とその部下となり、敷居ができてしまった虚しさを社長になった男が気づいて欲しいという願いを込めて殴る続けるという、その気持ちはわかるが、ちょっとついていけない。特にこの場面はフィルムの状態が悪いせいか、ほとんど顔は真っ黒で(逆光のせい?)表情が読み取れなかった。

最後の結婚旅行に出る二人をビルから3人が見送るシーンは微笑ましい。

 

非常線の女 1933年

上の青春の夢の映画に比べ、フィルムの状態が良いようで、見やすかった。小津監督のサイレント映画では、アメリカのギャング映画の影響を色濃く受けているギャング物。昼はタイプライター、夜は元ボクサーに入れ上げる情婦を若き日の田中絹代ががんばっているが、「東京の女」で同じような立場を演じた女優の方が雰囲気が出ていたな。まあダンスホールやらビリヤード場など当時の風俗が垣間見れて面白かったが、最後二人で逃げる場面で、時子が彼氏を銃で撃っちゃうって?ちょっとそりゃないんじゃないって思えてしまった。 

 

 

以上、小津安二郎全集4巻

 

 

 

 

 

ここから小津安二郎全集3巻

6月23日

母を恋はずや 1934年

ともかく、映画の冒頭部とラスト部分が消失しており、見ることができないわけだ。お話は、急死した父親が残した二人の兄弟が、母親に育てられ兄が大学に入学する時に、母親は自分の産みの親でないことが知らされ、弟への対応が自分への対応と違う(弟への厳しさが自分にはないこと) 母親の態度に不満を持つ兄の複雑な心境や母の気持ち弟の気持ちがそれぞれの立場でうずまく心理劇、さすがにテーマがこうした複雑な心理描写が中心なため、いつものギャグ表現はこの映画には現れず、シリアスなムードで展開していく。また、細かい心理描写はやはりサイレントでは限界があるというべきか?字幕が入ることが多かった。最後の部分が見れなかったのは残念だが、ラストは三人の家族が、また仲良く暮らすハッピーエンドになっているらしく、めでたしめでたしらしいのだがそこへの展開は難しいだろうと想像される。ただ、小津監督がこうした家族をテーマとした映画を、この後多く作られていくことを考えれば、それらの映画の布石とも言える映画だった。

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6月25日

出来ごころ 1933年

後の男はつらいよの寅さんの原点とも呼ばれる人物喜八シリーズの1作目らしい。

長屋住まいの親一人子一人の親子を中心とした人情喜劇。喜八の同じビール工場で働く次郎、食堂のおかみさん、行きすがりに出会った家族のいない若い女、理髪店のオヤジなど、それぞれの助け合う人情がしみじみと伝わっていい映画だと思った。また、喜八を中心に皆いい演技に見えた。小津監督は日本の御涙頂戴的なジメジメした日本映画が嫌いだったらしく、相方の脚本家とさっぱりとした人情喜劇に仕上げたかったらしい。ちょっと疑問に思うのは、タイトルの出来ごころって、どのことを示しているのか?ゆきずりで出会った女への出来ごころ?最後に次郎の代わりに北海道へ働きに行こうという出来ごころ?その船の上でやっぱりやめたという出来ごころ?まあ、そんな気持ちの総体としてこのタイトルにしたということかな。

 

6月26日 

浮草物語 1934年

この映画、後に小津監督がカラー音声入りで再映画化している。小津監督がこのテーマを気に入っていたと思われる。各地をドサ周りして身銭を稼ぐ小劇団の物語。彼等の心許ない身の上を水に浮く浮草に喩えたこのお話、すでに自分はカラーになったリメイク盤をかなり前に見ている。細部は覚えていないが、後味の悪い印象はなかった。というのは、主人公の喜八は元の妻や息子と暮らすことは出来ないことを知り、劇団も解散という悲惨な人生模様なのだが、旅を続けざるおえない喜八と劇団にいた女が、もう一度劇団を旗揚げしようと、汽車で旅立つところで終わるからだ。彼等の人生には明るい未来はないのかもしれない。もうその人生を選ぶしかないかもしれないが、そこに微かな望みが見えてくるからラストシーンにほのかな幸福感が感じられたんだろうな。ところで、この映画でも劇団の子役(犬)として突貫小僧が活躍していたが、またいい味出してたな。それから劇団の女優役のおたかとおときの演技や存在感もこの映画を華やかにしていた。

 

6月27日

東京の宿 1935年

この映画が小津監督のサイレント(一部音楽のみ)映画の最後ということになる。喜八シリーズの最後ともなっている。今日はとても暑い日で午前中の仕事が疲れたせいか、映画の途中から完全に居眠りしてしまい正確な感想は述べられないのだが、喜八シリーズの流れからおよそ想像はつく。喜八と子供との炎天下?での酒を酌み交わすパントマイムは秀逸だ。

さっき寝てしまって見れなかった後半を見てみた。シングルファーザーとシングルマザーの出会いって、そうか映画「男と女」じゃん。もしかしてパクリ?それはないか。子ども同士の触れ合いもいいし、喜八とおたかの行方もちょっと気になる展開、娘の君子が病気になるところから話は急展開。飲み屋の女給になったおたかとの出会い、そして犯罪にいたる喜八の仕草や表情がこのお話を盛り上げていた。この2作ほど入れた音楽も。思いの外、いい作品だった。明日からトーキーとなる。

 

6月28日

「一人息子」1936年

トーキー第1作。まずは良い映画だったという感想。ただ、録音が悪いせいと当時の早口のセリフで聞き取りにくくて仕方がなかった。信州の女手一つで育てた一人息子が中学を卒業し東京に出るが、出世できず母親にも現在の状況(夜間高校の教師で、既婚し子どももすでにいる)を知らせていない。初めて上京して来た母には、息子の今の状況が不満で夜説教する場面が泣ける。次の日母親を妻に東京見物させようとした日、近所の子供が怪我をして病院に連れて行ったり、その子の母親に親切にする息子の行動に涙する母親。出世した息子を見るより今した行動こそ良いものを見せてもらったと、故郷へ帰って行く。なんと良い話だろう。もう、この映画には東京物語の基礎が作られている。トーキーにはなったが、あまり音楽に頼ろうとする場面がないのもやはり小津監督のこだわりだろうな。

 

6月29日

淑女は何を忘れたか 1937年

前年の作られたトーキー第1作に続き、作られた第2作がこの映画。1作が貧乏人のお話だったのに対し、こちらはお金持ちのお話。小津監督の意識的な策略だろうか?特に1作で主演の飯田蝶子の信州の貧乏な母が、この映画ではマダム役で出演が楽しい。叔父さん役のドクトルとその妻と大阪の姪のやりとりが、楽しく見れた。やはり小津監督のギャグはいいな。そんな大笑いするものじゃないが、ついクスッと笑えるギャグがいい感じだ。いつも思うのだが、結婚していない小津監督のこの夫婦のつながりの機微がどうしてわかっていたのか?実は一緒に暮らしていた妻的な人がいたんじゃないかと思えるくらいだ。トーキー第2作もいい映画だったな。昨日に続き、昼寝してしまい、後半をさっき見直した。

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7月3日

戸田家の兄妹 1941年

小津監督の映画は、当時、映画賞は取るが、興行成績はあまり良くない、一般には受けないということになっていたようだ。映画制作会社として松竹も小津監督の芸術性を信じて作らせていたということか?だが、この映画はヒットしたらしい。人気俳優を多く出演していることも一因だが、やはりお話の面白さもあったろう。自分はいつものように前半居眠りしてしまい感想を書く資格はないのだが、後半から見た印象は、特に弟役の佐分利信が兄夫婦に対して、母親と妹への冷たい姿勢を一刀両断に非難するシーンは見ていてスカッとさせられた。東京物語でも東京に来た老夫婦が息子夫婦達に邪険にされるシーンがあり、ちょっとかぶっている。ここでは若き日の高峰三枝子が妹役だったのだが、もっと歳をとってからの高峰三枝子しか知らないので、配役を見るまで本人とは思えなかった。

 

父ありき 1942年

小津監督にとってこの映画が戦前(戦中?)最後の映画となる。もうトーキーになっているが、極力音楽を廃し、会話で話が進んで行く。小津監督の作品には欠かせない俳優となった笠智衆の最初の主演映画である。晩春の父親役(一人娘の)が素晴らしいのだが、こちらでは、一人息子の良き父親役を演じて素晴らしい。父と子ってどうしても対立する場面がドラマになりやすい?という気がするのだが、このお話では、中学の時から別に暮らす生活を強いられたため、息子は父親と一緒に暮らしたいと願う純粋な心の持ち主。全編を通じて嫌な人物や行動はなく、ただただ親子の純粋な愛情を描いた素晴らしい作品と思う。小津監督の作品制作の一つの頂点的な作品と言えるのではないか?戦時中ということでなぜか検閲で笠智衆の詩吟のシーンがカットされているらしく、そのシーンはない。なんで詩吟がダメなのかよくわからんが、この映画で一番印象的に残ったシーンはなんといっても、久しぶりに温泉に来た親子が夕食の時に、息子が秋田での教師を辞めて東京へ来て父親と暮らしたいと話した時の、その考えは間違っていると父親が息子に諭す場面だ。ここも、晩春の父親が娘がお嫁にいくよりお父さんと一緒にいたいと言った時に諭す場面がかぶってきたが、、。

 

7月4日 

長屋紳士録 1947年

小津監督にとって戦後1作目の映画。当時は戦後になっても戦前と同じような映画を作っていると言われたらしいが、傑作と思う。当時の長屋住まいの人々の人情話。タイトルは長屋紳士録となっているが、このお話の主役は飯田蝶子のおばさんだ。長屋に連れて来られた迷子の面倒を見ることになって、押しつけ合う長屋の住人。結局、飯田蝶子演ずるおばさんが、その子の面倒を見るわけだが、おねしょなどされたり、干し柿を黙って食べたと思い(結局は隣のおじさんが食べていたのだが)怖い顔で子を叱る場面の怖いこと。まあ、この子どもへの冷たい態度は、後半の子への情が湧いて一緒に住もうとなるおばさんへの見ているこちらの感情を増幅させる。そして、最後に父親が現れ、子どもを連れて行ってから、おばさんの泣くシーンに最高潮に達する。自分も栞を思い出して泣けた。おばさんはそこに居合わせた長屋の人に「子どもがいなくなって悲しいんじゃない。お父さんと子どもが一緒に暮らしてゆけるようになって良かったと涙しているの」と言う。感動的だった。飯田蝶子という女優、小津監督の映画では何度も重要な役や端役でも出演しているが、この映画が最高にイイと思う。蛇足だが、この映画で笠智衆の浪花節?のようなアカペラの唄が聴けて楽しい。

 

7月5日

風の中の牝鷄 1948年

この映画、小津監督にしては珍しく、暴力的なシーンがあり、全体の雰囲気も暗くいつもの軽いギャグクスッと笑える演出が全くない映画となっている。まあテーマが戦争のために夫が帰ってこない妻のお話だから仕方がないわけだが、息子の病気の治療のために犯した妻の行為を執拗に責める夫の行動は、やはり昔の日本の精神というべきか?この夫の行動が理解できない自分は、このような純潔さ?は今では薄れてしまったということか?色々と考えさせられた。ともかく早く妻を許して仲良くしてほしいという願いは映画のラストシーンで叶えられて良かったのだが、小津監督の映画には珍しい階段落ちのシーン、そのシーンは迫力があり、よく撮れているとは思ったのだが、その後の夫の行動が疑問に残った。あの場面、不可抗力とはいえ、妻が階段落ちしたのは夫のせいであるにもかかわらず、助けにも行かないって?そのため階段下に落ちた妻は自力で階段を登って来るのだ。そんな~、、。小津監督関連の著書によるとこの映画は失敗作であると小津監督自身も認めているらしい。どうだろう?確かにいつもの軽快な雰囲気はないが、この時期の日本を描いた作品としての価値はあるんじゃないかな。

 

以上小津安二郎全集3巻終了

2巻からはいよいよ晩春をはじめとする小津映画の真髄を示す映画のはじまりだ。

 

7月6日 

晩春 1949年

さあ、いよいよ晩春だ。この映画は藤枝の自分の家で見たということは、高校生の時に初めて見たんだと思う。当時、小津安二郎という監督は知らなかったから、純粋にこの映画を見て一種の衝撃を受けた。当時、同じ時期にデシーカの「自転車泥棒」や黒澤の映画など見て、古い映画っていいんだ。という印象を持っていた。晩春のどこに感動したのか、今は思い出せないが、映画の雰囲気だったろうか?その後、DVDなどで、他の小津監督の作品も見たが、残念ながら晩春ほどの感動はなかった。自分にとっての小津監督映画のベスト1と言える。今回見て思ったことは、まず、この映画の魅力は原節子の朗らかな笑顔である。晩春は何度か見ていると思うが、今回この映画のほとんどの場面に原節子が出演していて、小津監督の意向なんだろうけど、この映画には原節子の魅力が詰まっていると言える。前半のよく笑う場面からの父親の再婚相手を見つめる恨みがましい表情へと、そしてお嫁に行く寂しそうな表情へその対比が素晴らしい演出となっている。そして笠智衆。愛する娘との別れを迎える父親を見事に演じていた。やはり、娘との最後の京都旅行で、娘からこのまま父親と一緒にいたいと言われた時に娘に諭すシーンは何度見ても感動してしまう(私は古い人間なんでしょうか?)。また、この映画には日本の文化を紹介するような面もあるのかな?お茶や能、京都の風景、茅ヶ崎付近の海辺、全て美しく映されている。

 

7月9日

麦秋 1951年

原節子を主演にした紀子3部作の2作目。娘を静かに見守る父母、妹の行動にヤキモキする兄が晩春では父役だった笠智衆。その妻、優しく話し相手になる義理の姉。やんちゃなその息子達。と晩春では父と一人娘だったが、麦秋は家族が多く、主人公の原節子がほぼ全編で活躍した晩春より、他の家族の出番もあって広がりがある。サイレント映画の頃から、子役を上手に使っている小津監督だが、ここでも二人の兄弟を上手く演じさせていると思う。子役の使い方は、下手な映画では、見ていられないくらい不自然な演技になりがちだが、小津監督の映画に出て来る子ども達は自然で良い。この映画でも鉄道が好きな子ども達が活躍している。前回より若い、紀子の兄を演ずる笠智衆は、子どもを叱る場面や、紀子に自分の考えで結婚を決めたことを問いただす場面など、少しいつもより感情の起伏が激しい。また、曾祖父さんの役で出ていた耳の遠いじいさんが味があってよかったなあ。やっぱり晩春の方が好きだが、この映画もよくできてるなあ。このお話で一番印象的な場合は、何といっても紀子に息子と一緒になってくれたらと杉村春子の演ずるおばさんが話しだすシーンだ。紀子が良い返事をもらったおばさんの喜びようは素晴らしい演技だった。晩春でも軽妙な演技であの映画のアクセントになっていたが、この麦秋ではもっと大事な役が与えられ、見事に演じ切っていた。流石ですね。

 

7月10日

お茶漬けの味 1952年

この映画、戦後ようやく敗戦から7年後ということで、日本が復興の兆しの見える世相を反映しているのかな?温泉旅行、パチンコ、競輪、野球観戦、バーやトンカツ屋、ラーメン屋など、当時の娯楽や風俗が見られて楽しい。うー~ん、あんまり今と変わらない?この映画では、温泉で、バーで、パチンコ屋の家でいきなり歌い出す場面が3回あった。鶴田浩二演ずる若いサラリーマンが、どこの言葉かわからない歌謡曲?当時流行っていたのか?女同士の温泉宿で、スミレの花?宝塚のあの唄をみんなで口ずさむ。そして、いつもの老け役の笠智衆がなんとパチンコ屋の主人として昔の戦友を家の中に招いて唄う、あれは軍歌なんだろうか?いきなり歌い出すので、ちょっと違和感なのだが、昔はカラオケもなかったから、ああやってアカペラで歌うってのは、そんなに不思議なことではなかったのかもしれない。

 お話の主人公は、気の強いちょっとわがままな奥さんとサラリーマンとして働く堅物の夫。この夫役の佐分利信がいい味出してたなあ。最後のお茶漬け食べるシーン良かったなあ。このツンとした奥さん、前半のわがままぶりや夫に楯つく憎たらしさぶりが全部、このお茶漬けシーンで大逆転。小津監督の長屋紳士録のおばさんに通ずる演出だ。見事だな。この映画は全体にコミカルな場面が多く、最後の若い二人のシーンもなかなか楽しい演出だった。

 

7月13日 

早春 1956年

戦後の小津監督の作品には珍しい夫の不倫を軸としたお話だ。タイトルが早春だから、晩春の対になるようなお話かと想像していたが全く違っていた。どこが早春なのだろう?夫の不倫?不倫相手の岸恵子の女性?夫婦のまだ未熟さを?東京のサラリーマンのグループ?のピクニックやうどん会、マージャン、飲み会など当時の風俗が見られるのは楽しいが、不倫する女性へのグループあげての吊し上げのシーンは、流石に違和感を感じてしまった。あんな感じなんだ。まあ、若き日の岸恵子がキュートで魅力的で、不倫に落ちて行く池部良演じる夫の気持ちもわからないではないのだが、その送別会で二人が握手して別れるって?ちょっとなあ。まあ、いつもの小津映画の雰囲気はあるわけで、随所に軽いギャグがあって楽しい。奥さんの母親役くめおばさんが良かったなあ。最後は笠智衆演ずる先輩からの助言もあり、これから夫婦としての愛を育んでいこうということで結末でハッピーエンドとなっていた。

 

7月14日

東京暮色 1957年

この映画が小津監督にとって最後の白黒映画ということになる。内容もかなり暗い。当時のバーや喫茶店、雀荘、パチンコ、ラーメン屋など風俗が描かれているが、ストーリーは、二人の子どもを残して逃避行してしまった母親との再会。その次女は妊娠しても責任を持たない若者に逃げられ、ついに堕胎、最期は自殺してしまうというどん底の悲劇的結末。最後に長女役の原節子が父親役の笠智衆に、幼い子どものために、もう一度夫と夫婦生活をやり直すと誓い、父親が励ますという場面があるのだが、この場面は晩春の父が娘に諭す場面が思い浮かんでしまった。しかし、やはり重すぎたかなあ?全体としては、いつもの構図、会話、小津映画の基本は変わらないとはいえ、いつものギャグもほとんどなくて小津映画にしては、異色作と言える。

 

ここで全集2巻終了で、あと1巻を残すのみとなったところで小津監督の映画からしばらく離れて、黒澤監督が関わった映画に移ることにする。

7月16日

 

馬 1941年 監督山本嘉次郎 制作主任 黒澤明

この映画、まだ黒澤明が助監督時代の作品だが、この時期の監督山本嘉次郎は、監督としては大忙しの頃で、この作品のほとんどの東北ロケは黒澤明が仕切っていたらしい。この物語、秋田?の農家の娘(高峰秀子)と馬との交流を中心に描かれた家族のお話。まだ15歳~17歳だった高峰秀子が熱演している。子役の頃から才能を発揮していたらしいが、その後大女優と成長していくわけだが、この映画でもその片鱗が見られる。このDVDについていた解説にこの撮影時に、黒澤と高峰秀子とにロマンスがあったらしく、高峰秀子の自伝でも触れているから事実らしく、そんなに黒澤がモテる男だったのかと、ちょっと驚いた。この映画には、当時の東北の農家の生活やナマハゲや駒遊びに興じる子ども風俗が描かれて、そういう意味でも興味深かった。また、「春よこい」や「故郷」などの唱歌が子ども達が歌い牧歌的雰囲気が流れている。戦時中の映画だったため、最後に馬が売られて、みんなで祝杯をあげるシーンがあったそうだが、軍の大佐から昼間から酒を飲むとはけしからんということでカットされたらしい。

 

肖像 1948年 木下恵介監督

この映画、当時どちらも人気監督であった黒澤明と木下恵介が、偶然何かの映画の試写会で同席した時に木下監督が黒澤に脚本を頼んだことから、制作することになった映画らしい。木下は以前から黒澤監督の映画を気に入っていて、感想などを黒澤に伝えていたらしい。また、黒澤自身も木下監督の映画には一目置いており、喜んでこの映画の脚本を引き受けたらしい。

タイトルにある通り、画家が登場。ある借家の1階に住む家族の父親が売れない画家である。その2階に不動産屋?の男が妾を連れて引っ越して来る。下の家族は、親子だと思い、妾の女をお嬢さんと呼ぶ。妾の女は、お嬢さんと呼ばれて気持ちが良くなり、お嬢様を演じる。画家はこの妾の女をモデルに肖像画を描くことになる。下の家族に良い人だと思われ嬉しく思う妾は、実は妾という立場にある現実の自分にウンザリしてしまう。そしてついに酔いどれた末に下の母に事実の自分を告げ悪ぶる。母はこの肖像の通りの人だと諭す。肖像画は展覧会に出品され、好評を博す。なかなか面白い設定だなと思った。ただ、この映画を見た黒澤は手厳しかったようで、木下監督に自分だったら、こんな風に撮ったみたいな感想だったらしい。

 

7月19日

四つの恋の物語 1947年

戦後、新体制になった東宝が最初に作った映画。4つのお話をそれぞれ違う監督が作っている。

1話~初恋 脚本は黒澤明で、さすが黒澤、初恋という下手すると、ちょっとジメっとしそうなテーマをカラッと爽やかに描く。二人で木登りをしたり、木の上で唄うシーンは明るく楽しい。池部良も久我美子も初々しく好演だった。取り巻きの父母、バンカラな学生達もいい雰囲気を醸し出していた。

2話~別れも愉し 成瀬巳喜男監督。う~ん、あまり話の展開がなくて、自分には面白さに欠けるお話だった。主演の木暮実千代という女優、なかなか悪女ぶりが良かった。黒澤監督が「酔いどれ天使」で、彼女を使ったのだが、実際の彼女は、酒もタバコも吸えないマージャンもしない品行方正な女性だったことに驚いたというエピソードが載っていた。その話を知って木暮実千代という女優に好感を持った。

3話 恋はやさし 山本嘉次郎監督 この監督、黒澤明が助監督時代の師匠だ。喜劇王エノケンが出演している。エノケンの映画のシリーズはこの監督が作ったらしい。エノケンの劇中劇の歌や照れまくる踊り?がチャップリンの動きに似ていて、エノケン、チャップリンを意識していたのかと思った。なかなか楽しいお話だった。

4話 サーカスの恋 衣笠貞之助監督。この監督も巨匠と呼ばれるぐらいの大監督らしいのだが、このお話はつまらなかった。フィルムが古く映像や音声がよくわからない部分が多かったこともあり、筋が今ひとつわからないせいもあるのだが、なぜ?殺人に至ったのかが?疑問符。サーカスのメンバーの関係が十分に伝わらなくて。

というわけで、自分としては1話と3話が気に入った。

 

7月20日  

ジャコ萬と鉄 1949年

この映画、谷口千吉監督だが、脚本は黒澤も関わっている。谷口と黒澤はどちらも山本嘉次郎の助監督を務めていたという同じ境遇の仲間だった。だから、二人で脚本を書いて作った映画が何作かある。主演の三船敏郎はデビュー2作目で、この後も二人の監督の映画に多く出演している。この映画では、ニシン漁の元締めの息子役で、ヤンシュウと呼ばれるニシン漁の労働者達に過酷な労働を強いる悪徳のオヤジに対して、誰に対しても公平に間違ったことが嫌いな好青年(バンカラだが)を若き日の三船が好演している。通称大学生と呼ばれる体の弱いヤンシュウに優しく接したり、ジャコ萬に憧れるアイヌの娘をソリで助けたり、常に正しい行動をとる鉄には好感が持てる。みんなで宴会を開いた時には、南方で覚えたという現地人の歌?をみんなの前で披露するのだが、それが奇妙な踊りと歌なのだが、自分には楽しかった。また、町の教会のオルガン弾き(久我美子)の女に憧れていて、毎週会いにいくのだが、話しかけることもなく終わってしまうのも、爽やかでいい。もらった役もいいせいだと思うが、やはり三船敏郎という俳優、さすがだと感心した。

お話は、増毛の海岸ということで親しみを感じるし、そのニシン漁のシーンも迫力があって良かった。教会のシーンは小樽だったらしい。この映画に感動した高倉健が要望して降旗監督でリメイクしているが、どうなんだろう?ともかく、この映画には満足した。

 

 

8月3日 

君たちはどう生きるか 2023年 宮﨑駿監督

旅行で稚内に行ったのだが、生憎の雨模様で、ちょうど道の駅の中に映画館があったので、見ることにした。それほど見たいわけではなかったのだが、まあ、他に見たい映画もなかったので見ることにした。期待もしていなかったのだが、やはりジブリだけあり、絵が良いので見てしまったが、自分には今一つだった。旅行疲れで2度ほど寝落ちしそうになったのだが、大きな効果音で目が覚めた。この映画、ネット上で評価が真っ二つに分かれている。ファンタジーだからどんな展開があっても良いと思う。確かに荒唐無稽な展開もあったが、自分はそこは何とも思わない。多分、宮﨑駿監督の好きな世界観なんだろうと思う。自分もあのような建物や好きな景色もあった。なぜ自分にはダメだったかといえば、この主人公の真人の人間的な魅力が描けていないからだと思う。だから感情移入できない。真人と新しい母になる女性との関係も、あまりに希薄で真人が彼女を命がけで救い出そうという流れが不自然に感じてしまう。もっと彼女と真人との深い関係を示すエピソードがないと無理だ。まあ、そんな訳でちょっと残念な感想だった。自分にとってジブリ作品は好きな作品も多く、今後も期待していたが、もうここまでかな?

 

 

8月6日

天晴れ一心太助 1945年 佐伯清監督 黒澤明脚本

う~ん、やはり映画は脚本次第ということか?楽しい映画だった。佐伯監督の初監督作品に黒澤が脚本を書いたわけだ。佐伯監督という人、後に網走番外地シリーズなどヤクザ映画を沢山撮っているらしい。この映画は、エノケンを主人公にオバケ銀杏と呼ばれる大木に覆われたナメクジ長屋と呼ばれるその住人達と、その住人を押さえつけて私腹を肥やす侍どもとの争いを中心にお話が進む。後の「七人の侍」ほどのスケール感はないが、長屋の登場人物が個性的に描かれている。主人公の魚屋一心太助、その女房のおなか。この二人の掛け合いが良かった。江戸っ子らしい切符のいいセリフのやり取りが気持ちいい。長屋の住人は、蕎麦屋、床屋、大工、めくらのアンマ、相撲取り、落ちぶれた武士とその娘といった顔ぶれで、始めは侍どもの横暴に手をこまねいている長屋の住人達も、太助の心意気に少しずつ気持ちが変わって行く。まさに七人の侍の農民達の様子にそっくりだ。その争いの場面も面白おかしく描いていてよかった。随所にいいセリフがあって感心した。

 

8月7日

戦国無頼 1952年 稲垣浩監督 黒澤明脚本

井上靖の同名小説を映画化したもの。主演にはすでに羅生門などで、世界のミフネとして有名となった三船敏郎、デビュー2年目の三国連太郎、そして、李香蘭の中国名でデビューし、すでに人気女優だった山口淑子の共演。お話は、戦国時代の男女のもつれを描いた時代劇。なにしろ夜の野外の場面が多く、よく判別できないことや、早口で話す言葉が聞き取れないことで、話の筋がよくわからない部分があった。また、あの当時広い戦場と化した日本の各地に離れ離れになった男女が偶然にも再び出会う事ができるのか疑問だった。主人公のハヤテ(三船敏郎)が老人や子どもに優しい魅力的な男として描かれているとはいえ、気の強い女おりょう(山口淑子)が命をかけて追いかけて行く姿には、ちょっと違和感を感じてしまった。もうちょっと、いつもの黒澤のユーモアのある笑が欲しかった。

 

8月8日

荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻 1952年 監督森一生 脚本黒澤明

しかし、この時期黒澤監督は、羅生門はじめ傑作と呼べる作品を何本も撮っているのに、良い脚本を沢山他の監督に提供していることに、ちょっと驚かされる。この仇討ち(日本3大仇討ちと呼ばれる)を描く時代劇は、ちょっと変わったお話の始め方だ。歌舞伎や講談などで扱われているこの仇討ちの又右衛門の誇張された36人斬りの場面が映される。そこにナレーションで、実際の仇討ちというものは、このようなものではなかったと否定する。そして、まるでドキュメンタリーのように現在のバスが走る鍵屋の辻の道路を映すのである。普通の時代劇には見られない実験的な導入部と言っていい。この鍵屋で待つ四人の武士の様子と仇討ちシーンがこの映画のメインだが、仇討ちを待つ場面と過去の場面が錯綜して映されて、ちょっと判別しづらい部分もあったが(特に三船敏郎と志村喬の関係)ともかく、仇討ちを控える四人のその緊張感が伝わって来て、臨場感満載だ。本当の仇討ちって、あんな感じなんだろうなぁと思わせる。チャンバラの格闘シーンもリアリティがあった。そして、助太刀としての荒木又右衛門役の三船敏郎の凛とした武士の姿はカッコよかったです。

 

8月9日 

戦国群盗伝 1959年 杉江敏男監督 黒澤明潤色

この映画1937年に前後編に分けて作られた同名映画のリメイクらしい。見始めた盗賊の場面からなんだか軽いタッチだなぁと思い、監督の経歴を見たら社長シリーズやら若大将シリーズを撮ってる人らしい。うなずける。途中、寝落ちしてしまう。三船敏郎もこの映画では、薄っぺらい盗賊の一味といった雰囲気だし、鶴田浩二も歳がいってからの渋味もなく、まあ若殿役だから品のある武士なので渋味はいらないにせよ、盗賊の大将になってもなんだか浮いててしっくりこなかった。最後に二人が握手して新天地を求めて旅立つシーンには、何の感慨も持てなかった。女優陣の司葉子と上原美佐も全く個性のない人物で印象が薄く、全く何のためにこの映画に出ているの?というくらい存在感がない。やっぱり映画って監督次第ということか?

 

8月10日

地獄の貴婦人 1949年 小田基義監督 黒澤明、西亀元貞脚本

大企業の脱税の真相を暴くTメンと呼ばれる国税査察官のお話だというから、ちょっと期待して見たのだが、面白くなかった。木暮実千代という女優、黒澤監督の映画にも起用されていて、なかなか好きな女優なのだが、ここでは魅力が発揮できていない。はっきり言って脚本がダメなんだろうな。黒澤はどの程度この脚本に関わったのか?音楽が服部良一というんで、こっちも期待したが、なんだかお話を盛り上げようとする音楽が入れば入るほどこちらはしらけるのはどうしてか?ともかく最後の査察官同士の会話もピンと来ない終わり方で、全く期待外れの映画だった。

 

8月11日

愛と憎しみの彼方へ 1951年 谷口千吉監督 黒澤明脚本

この映画「ジャコ萬と鉄」と同じ監督脚本コンビしかも北海道が舞台ということで期待した。網走刑務所からの脱走のお話。志村喬の看守と脱獄する三船敏郎との心のつながりが描かれ、脱獄してからも志村が追い続け、三船という男を信じる姿が感動を呼ぶ。また、三船の妻と一緒に逃げる医者の池部良が、献身的に病気の子どもを救おうとする姿に三船が復讐することを諦めるわけだが、なにしろ設定が厳しいんじゃないかな?夫が脱獄して、妻と医者が一緒に家を出る事がもう、無理だ。それぞれの場面での人物の行動は理解できるのだが、原作がそうなっているんだろうな。そんなわけで、いまいちだったのだが、北海道の山のロケという事で、よく撮ったなあって感想だ。

 

8月12日 

用心棒 1961年 黒澤明監督脚本 佐藤勝音楽

この映画は、もう何度も見ているのだが、やはり傑作と呼べる映画だろう。1番初めに見たのは、忘れもしない大学時代、岩見沢に1軒だけあった映画館で。もう当時は映画産業は斜陽とも言える状況だったと思う。自分の気に入った映画もあまりかかっていなかったから、映画館に足を運ぶこともそんなになかったが、その日、珍しくなぜか黒澤の古い映画3本立てで上映されていたのだ。それまで自分は黒澤明という監督の映画は「羅生門」ぐらいしか、しかもテレビで見たきりだったと思う。やるなぁ、この監督。世界的名声を轟かせているだけある。と感心していたが、劇場で見る機会などなかったから、この機会を逃してはなるかと、勇んで見に行ったわけだ。3本立てしかもオールナイト。当時入れ替えなどなかったし、観客が自分を含めて三人ぐらいだったんじゃないかな?その中の1本が「用心棒」だったわけだ。後の2本は「椿三十郎」と「隠し砦の三悪人」だった。まあ大袈裟に言えばカルチャーショック。こんな素晴らしい映画を作る黒澤明監督とは如何なる人物か?自分が今まで見た映画でも最高級の映画と言える。オールナイトだったから、3本の映画をそれぞれ繰り返し2回ずつ見て、朝方、大学の寮に帰ったと思う。で、この「用心棒」だが、もうすでに黒澤監督は数々の名作と呼べる「七人の侍」や「生きる」そしてカンヌ映画祭グランプリの「羅生門」などで成功を収めていたから、この映画も娯楽大作とはいえ、撮影のセットにも大金を投じて作成する事ができたようだ。しかし、お金をかければ必ずいい映画が出来るとは限らない。自分も色んな映画を見てきたが、大作と呼ばれる駄作も多く見たように思う。この映画の面白さは何かと言われれば、多くの要素があって一口には言えないが、まずは三船敏郎扮する桑畑三十郎の魅力。無骨な侍のカッコ良さ、その人間性、そしてやはり殺陣の鋭さかな。もちろんお話もよくできている。この宿場町?の2つのヤクザな集団を、三十郎がお互いの組織に取り入って争わせ、一網打尽にしてしまおうというお話だ。この映画を初めて見た時に、特に印象に残ったシーンが2つある。もちろん印象的シーンは、この映画全編に溢れているのだが、あえて選べば、司葉子演じる百姓の女房が自分の息子から引き裂かれそうになり、三十郎が見かねて救おうとするシーンだ。ここに三十郎の人間性が垣間見ることができる。また、このシーンで流れる音楽が、またなんとも言えず哀しげな抒情的な音楽がこの場面を盛り上げている。この映画の音楽担当は佐藤勝という人で、この後の黒澤監督の映画でも使われている。この映画でも全編に渡ってこのお話に似つかわしい音楽がつけられていると思う。実は初期の黒澤映画の音楽は早坂文雄という人で、佐藤勝は早坂文雄を師事していたらしい。黒澤監督は早坂文雄の音楽を気に入って使っていたが、早坂文雄が亡くなってからは佐藤勝に音楽を頼むようになった。自分はこの二人の音楽家が黒澤映画を支えていると思う。次に印象に残ったシーンは、三十郎が捕まってジャイアント馬場似の子分にリンチされる場面だ。なにしろ迫力モノで滅多メタに痛めつけられなんとか傷を負いながらも地面を這いつくばって逃げ出す。この場面は何度見ても興奮する。この映画には主人公三十郎に敵対する存在として仲代達矢演ずる拳銃撃ちのヤクザ者が設定されていて、このアイデアも面白さを増幅する要因となっている。ともかく超娯楽大作と名打つだけあって、時代劇の魅力が詰まった作品と言えよう。

 

8月13日

椿三十郎 1962年 黒澤明監督

用心棒のヒットにより、会社の要望で作られた三十郎シリーズ?第2弾。原作は山本周五郎の「日日平安」だそうで、この映画のユーモラスな部分は、この原作によるところが多いらしい。ただ、タイトルにもある主人公の「椿」や椿を用いた討ち入りの合図などは原作には無い黒澤のアイデアということだ。椿がこのお話のキモになっている。三船敏郎扮する主人公三十郎は、用心棒の時と同様、無骨でニヒルともかくカッコいいのだが、今回は用心棒の時よりお喋りになっている。若い侍たちとの絡みもあるため、喋らざるおえない状況からだ。このお話でも三十郎の殺陣シーンは素晴らしく、多人数相手にばったばったと斬りまくる。ただ、用心棒よりもお話に厚みをもたらしているのは、上代の妻と娘の存在だろう。そして相手方の見張り番だった小林桂樹がこの映画の中で果たす役割は大きいと言える。この上代の妻と娘のお姫様会話と三十郎のぶっきらぼうな対比が楽しく、最後に打ち入る合図として椿を小川に流すというアイデアも彼女達が発案するという重要な役となっている。見張り番の小林桂樹は、相手方に捕まっている状況にも関わらず、捕まった押し入れの中で相手の会話を聞いているうちに、相手に味方する意見を述べたり、最後の打ち入る合図が来た時は、若い侍達と一緒に喜び合うという場面には微笑ましいというか大笑いだった。喜んでいる途中で我に帰り、すごすごと押し入れにもどるユーモラスな場面がこの映画の中で何度か繰り返される。最後の三十郎と敵方のやり手仲代達矢扮する室戸半兵衛との対決シーンは、やはりすごいのだが、制作秘話で読んだが、斬られた半兵衛から血飛沫が出るという仕掛けは、十分な練習ができないため、当日一発勝負のような状況だったらしい。だから、後ろで見守っている若い侍達も、実際に見るのは初めてで、演技ではなく実際にも驚きながら対決シーンを見ていたということが見てとれる。このシーンは見事1回でOKが出たらしい。というわけで、用心棒に続き、こちらも時代劇の楽しい要素が詰まった作品となっている。ネットのレビューを見ると、用心棒より椿三十郎の方が良かったという意見が多いように感じた。確かに、ユーモアという点で、映画としての広がりの大きさがあるということだろうか?

 

8月14日

天国と地獄 1963年 黒澤明監督

この時期、黒澤監督は2年前の用心棒、1年前の椿三十郎、そしてこの年天国と地獄、2年後に赤ひげと三船敏郎と組んで撮った傑作が毎年のように作られていたことになる。赤ひげ(1965年)から、しばらく置いて初のカラー作品どですかでんが1970年に作られている。

この映画、初めて見たのは東京だった気がする。なぜかリバイバルで上映されていたのを見た。唸った。黒澤監督の映画といえば時代劇だと思っていたから、このような現代劇は疑問だったのだが、それを打ち消すに十分すぎる出来栄えで驚いた。その後ビデオでも見ているから今回、3回目以上ということになるのだが、意外だったのは、列車のトイレの窓から落として犯人にお金を引き渡すシーンが映画の全体の中で早い時期に起きていたことだ。自分の中では、この緊張感のある大事な場面は、このお話の後半に起こったように記憶していたが、今回見てなんとまだ半分もいっていない、1時間よりも前に起きてるではないか?だから、この時点で子どもは返されるため、残りの部分は全て犯人捜査と逮捕劇で占められているわけだ。これは、ともかく息もつかせぬ展開で時間の感覚を忘れてしまうということからだろう。この映画で感心させられるのは、やはり黒澤監督の登場人物の性格づけだろう。ちょっと極端な表現とも言えるかもしれないが、それぞれの登場人物の人間性が見事に描き出されている。主人公の三船敏郎演ずる頑固な靴職人権藤。香川京子演ずる優しい妻。ずる賢く立ち回る秘書。気の弱い権藤の運転手。仲代達矢をリーダーとする刑事達。そして山崎努演ずる犯人。それぞれの出演者を個性的に描き出しているのは、やはり黒澤演出の力だろう。また、犯人逮捕のためのアイデアとして、子どもの描いた絵を使ったり、お金を入れたカバンに、燃やされた時に色のついた煙の出る薬を埋め込むという仕掛けなども面白い。前半は三船敏郎演ずる権藤ののっぴきならない立場での葛藤(身代金を出すか出さないか?)に自分も感情移入させられる。後半の犯人捜査の場面は、刑事達の協力によって次第に犯人逮捕に向かっていく気持ちの高まりがあり楽しませる。最後の犯人がヘロインを受け取る根岸屋でのシーンは、不気味ないかにも麻薬に侵された人々の群れという感じで異様感あふれていた。そしてついに犯人逮捕の場面。音楽がよかったな。映像は緊張感あふれているのに音楽はなんだか落ち着いたような呑気なオーソレミーヨが流れる。小津安二郎監督も音楽については、そういう意見だったらしい。悲しい場面で悲しい音楽は流さない。そして、ラストの犯人と権藤の面会シーン。犯人役の山崎努は、この映画が初出演ではなかったようだが、これだけ重要な役は初めてだったらしいが、見事な演技でラストを締めている。このシーンの後の刑事や権藤ら?の会話の場面があったらしいのだが、そこはカットし面会シーンでスパッと切った方がいいだろうという判断だったらしい。とにかくよくできた映画だ。

8月15日

七人の侍 1954年 黒澤明監督

前作が「生きる」(1952年)、前前作が「羅生門」(1950年)、次回作が「生きものの記録」(1955年)といった時期に作られている。この映画、2~3回はビデオで見ているはずなのだが、記憶が悪いせいか?集中して見ていなかったせいか?初めて見るシーンが随所に見られた。とにかくこの映画3時間27分と長い。途中休憩が入る。お話は、ある部落の百姓が武士を雇って、村を襲う野武士達をやっつけるというもの。前半は、村の者が七人の侍を集める過程だ。最初に出会う侍は、リーダー役となる志村喬扮する勘兵衛。坊さんになりすまして握り飯を渡し、相手を油断させ退治してしまうというエピソード。これを木村功演ずる勝四郎という若武者と、三船敏郎演ずる菊千代が見ていてこの老侍に一目置き、その後ついて行く。次に勘兵衛の参謀的な役割を担う五郎兵衛が勝四郎の不意打ちの試験?に打ち込まれる前に気づき採用となる。次は、千秋実扮する平八という、お喋りでみんなの笑いを誘うムードメーカー。薪割りをしている時に五郎兵衛に誘われ参加。次の侍は、加藤大介演じる槍の七郎次。七郎次は、勘兵衛の戦での昔仲間として加わる。そして最後に、剣の達人として宮口精二扮する久蔵が、路上で売られた剣術対戦の様子を勘兵衛達に見られてスカウトされる。この七人の中で1番強く、ニヒルでカッコいい。そして何と言っても菊千代の個性的な行動や仕草、思考はみんなの共感を呼ぶだろう。菊千代が村の子どもをかまうシーンが時々あるが、子どもに1番人気者になる大人は素敵な大人だろう。後の用心棒の桑畑三十郎や椿三十郎と同一人物とは思えない変身ぶりだ。とにかく、三船敏郎大暴れと言った感じ。これら七人の個性を描き切るのが前半といっていいかな。後半は、村に入ってからの戦をするための準備。と戦いシーンがメインとなる。村を守るため、竹槍軍団を組織したり、村の周りに堀を築いたり、野武士達がどう攻めて来るか?それをどう守るか?を綿密に計画して対応する。そうした、個々の対応策がよくできている。そして、次々に野武士達を退治して行くわけだ。まあ、その過程で七人の侍のメンバーも減って行くのだが。このお話で他に気になる人物といえば、やはり高堂国典という人演ずる長老かなあ。小津安二郎監督の映画にも時々出ていて印象的なのだが、好きだなああの役者。それから、百姓の小娘志乃が父親に髪を切られて男のフリをするが、結局勝四郎と恋に落ちるエピソードは、やはりこのお話に必要なのか?二人の場面になると志乃の音楽のテーマが入り、この物語とは違う雰囲気がもたらされるのだが。やっぱり色恋沙汰も描くことによってお話の幅を持たせたということか?音楽は何度も黒澤監督と組んできた早坂文雄。この映画でも効果的な音楽演出がされている。ただ、次の生きものの記録の時に急逝している。その後の黒澤映画の音楽は、その師を受け継いで佐藤勝が音楽担当となるが、見事に引き継いでいると言えると思う。この映画、完成までに1年以上の時間を費やし、しかも制作費も当初予定されていたものを大幅に上回っているらしいが、これだけの傑作が作られるためには当然とも言える。制作の裏話もいっぱいあるらしい。最後の合戦シーンも一発勝負で大変な撮影だったらしいが、今回見て編集の妙、迫力ある映像が記録されていた。監督冥利に尽きる。やはり傑作と呼ぶに相応しい映画だと思う。最後にこの映画ヴェネチア国際映画祭で銀賞だというので、調べてみると金賞はロミオとジュリエットだった。銀賞は七人の侍以外に3本あって、溝口健二の山椒大夫とフェリーニの道、エリアカザンの波止場がそれぞれ受賞している。しばらく黒澤監督の映画ばかり見てきたので、今度は溝口健二監督の映画見てみようかと思う。

 

8月16日

羅生門 1950年 黒澤明監督

日本の映画を世界に知らしめた最初の映画と言ってよいだろう。ヴェネチア国際映画祭で金賞受賞により、世界のクロサワと呼ばれるようになった。原作は芥川龍之介の短編「藪の中」を橋本忍が脚本を書き、黒澤監督が映画化した。原作と大きく違っているのは、事件の当事者三人の証言だけでなく、第三者的立場からその事件を見ていたという人物を作り出し、その人物の見た状況も映像化されている。つまり、それぞれの視点からの映像が4つあるわけだ。この芥川龍之介の考え出した三人の視点からのお話が面白いのだが、それを演じた三船敏郎、京マチ子、森雅之の演技が素晴らしいからこそ、傑作として残るのだ。すでに黒澤とのコンビとなっていた三船敏郎の野生味溢れるアクション、妖艶な魅力を醸し出す京マチコ、そして高貴な武士を演じる森雅之。もちろん、その演技を引き出し演出した黒澤監督の手腕は大きいと思う。そして、映像としての魅力。森の中のシーンもそうだが、やはり高額の制作費を投じて作られたという羅生門。絵になるなあ!この映画公開された時は、それほど評判にならなかったらしいが、映画賞受賞した途端に注目を浴びるということだったらしい。ダメだなあ、自分の鑑賞眼で判断しないといけないなあ。ところで、最後の志村喬演じる男と千秋実扮する旅法師のやり取りだが、今でも思い出すのだが、なんか付け足しに思えたのだ。人間が信じられないというこの事件に対するアンチテーゼとして、とってつけたように捨子を救おうとする男。その様子に人間の善意に感じ入る旅法師のシーンが、どうも直接的過ぎて、感動できない感情移入できない自分がいた。ところが、2回目に見た時は、そうかこういう終わり方でいいんだな。黒澤監督のヒューマニズムを表現したかったのだなと、なぜか納得した。今回もその気持ちは同じだった。最初見た時は若かったからだろうか?歳をとって赤ちゃんという生命の重さを感じとれる年齢になったということだろうか?あとこの映画だけじゃなくて、この頃の映画全てに言えることだが、早口で言葉が聞き取れないことだ。まあ、それを抜かしても良い映画は良いのだ。

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9月23日 「ミステリーと言う勿れ」

トモの希望で見にいく。映画は面白く楽しく見れたが、後半最後トイレが我慢できなくなりそうで困った。出演者の演技も良かったし、特にあの初めてみる顔だったが女の子も良かった。あの子がダメだとこの映画成立しない。ストーリーも面白かった。出てくる蔵とかのデザインもなかなか良くできていて、お話に引き込まれた。いつも出てくる主人公の菅田将暉演ずる大学生?の説教が、いつもいちいち納得させられて面白い。帰りに王将でチャーハンと餃子を食べてきた。

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12月31日 今年の後半は映画はあまり見ていない。本はジャズに関する本や、和田誠と村上春樹のジャズ関係の音楽紹介の本。それから「あの頃、忌野清志郎と」という元マネージャーだった片岡たまきが書いたレポート?を読む。後、小田さんの幼少期から今までの人生を辿る「空と風と時と」という追分日出子さんのこっちもレポート?を読む。先週偶然テレビに出演していた中学校の時の友人石上敏くん(トッペ)の本をネットで買って読んでいる。平賀源内は自分も江戸時代の興味深い人物として気にはしていたのだが、中学時代からマルチな活躍をしていたトッペらしく、平賀源内の研究者として第一人者になっているということは喜ばしい。来年読み終わったら、トッペに手紙を描こうと思っている。

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